現代思想の磯崎新特集 論考『純粋な言語遊戯、それをインテリアと言う』(青木淳)

『現代思想 2020年3月臨時増刊号 総特集◎磯崎 新』青土社,2020
seidosha.co.jp青土社 ||現代思想:現代思想2020年3月臨時増刊号 総特集=磯崎新積読になっていたものを読み終えた。個人的には青木淳さんの論考『純粋な言語遊戯、それをインテリアと言う』が示唆的だった。
通常ペジョラティブに用いられがちな”インテリア”というキーワードが、しかしポストモダン以降の混成した状況において、空間というものがもはやトポロジカルにしか存在し得ない現在に対して、一貫的な論理を構築することができておらず、そうすると、その意味において建築も実は”インテリア”的にならざるを得ないのではないか、という指摘がされている。
ゲーデルの不完全性定理や、ウィトゲンシュタインークリプキの言語ゲーム的な議論が下敷きとして思い起こされる。そのような状況下においてマニエラが尊ばれる(というかもはやマニエラしかないのではないか)のは、むしろインテリアを考えている側としてはひとつの武器として思考をはじめることができるのではないか?とすら思う。
並行して読んでいたハリー・フランシス・マルグレイヴによる『EXPERIENCE』は、建築理論が失効、あるいは機能不全に陥っている現状に対して、むしろ生命科学の蓄積をより積極的に建築内の理論として援用すべきだと主張をしていて、そちらはそちらで一定の理解ができるし、その潮流はおそらくますます強くなっていくだろうとも思う。
同時にある空間に込められた思想性(言語遊戯)を空間体験として見てしまうことも事実だとするなら、論理そのものの有効性はさておき、なくなることがない、とも思ってしまう。インテリアから考える、ということを最近はキーワードに掲げていくつかのインテリア的エートスの現在的な価値を捉えようとしているのだけど(例えば都市空間と情報空間=SNSが緊密に接続されている現在において、むしろ欲望を揺籃させる器として閉じられ空間、すなわちインテリアこそが重要なのではないか?など)、この青木さんの論考は何度も立ち返ることになりそうな気がしている。
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