高い空間はなぜ欲望されるのか?―技術史・進化心理学・権力論から読み解く
高い空間へ憧れること、その理由
高層ビルの展望台から街を見下ろしたことがあるだろうか。その時、広がる景色に驚き、自分が世界の頂点に立っているような気分になったことがあるかもしれない。眼下に広がる街並み、遠くに見える地平線、そして自分の足元に広がる都市の全景。これらすべてが一瞬で目に飛び込んできて、「高い場所」にいる特別な感覚に心を奪われるのだ。
この感覚は、多くの人にとって共通のものであるが、なぜ私たちはこれほどまでに高い空間に惹かれるのだろうか。それは単に見晴らしの良さやステータスシンボルとしての価値だけではなく、もっと深い理由があるのではないか?たとえば人間の本能や心理、そして歴史的な背景が、この「高所」への欲望を形作っている。ここでは、技術と都市空間の変遷、心理的な魅力、権力との関係から、高い空間はなぜ欲望されるかの謎を紐解いていく。
技術と都市空間の変遷: エレベーターと高層建築
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昔、富裕層は地上近くに住むことが普通だった。1階や2階が、彼らの住まいの主な場所であった。あるいは屋根裏部屋はしばし、家政婦や居候のための空間として描かれてきた。地上から離れることは、不便であり、時に危険とさえ考えられていたからだ。しかし、19世紀のエレベーターの発明は、こうした常識を大きく変えた。『金持ちは、なぜ高いところに住むのか』*1では、この技術の進化が、どのように都市の構造を変え、高層階が新たなステータスシンボルとなったかを詳しく説明している。
エレベーターの登場により、都市の垂直方向の発展が加速し、富裕層はより高い場所に住むことが可能となった。高層階は、地上の喧騒から離れ、静かで安全な空間と認識されるようになり、そこに住むことが社会的地位の象徴となった。同時に、高層建築は都市のスカイラインを変え、都市のシンボルとしての役割も担うようになった。
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『高層建築物の世界史』*2でも、高層建築の歴史が詳細に描かれている。古代エジプトのピラミッドや中世の大聖堂が宗教的権威や王権の象徴としてそびえ立っていたように、近代の高層建築もまた、技術と富の象徴として都市に君臨しているのだ。これらの建物は、単なる技術の成果ではなく、その時代の文化や社会を反映した象徴的な存在として私たちの目に映る。
エレベーターという技術によって、確かに高い場所への認識は一変した。しかし、それ以前の歴史を紐解いても、高い場所への欲望は変わらず存在していた。なぜだろうか。
心理的魅力と美的経験: 見晴らしと隠れ場所
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ジェイ・アップルトンは『風景の経験 景観の美について』*3の中において眺望-隠れ場理論を提唱している。それによれば、人間は「見晴らし」と「隠れ場所」の両方を求める本能を持っている。これは、古くから自然環境で生き抜くために必要な感覚であった。見晴らしの良い場所では、危険を早期に発見でき、隠れ場所では自分を守ることができる。この二つの要素が、人々が高い空間に惹かれる理由の一つとして説明がなされる。
いわば進化心理学的な説明は、同時に次のような内容からの説明もなされている。『デザインフルネス』*4では、人類における理想的な空間としてサバンナの紹介がされる。本書によれば、人類はサバンナのような空間を「良い」と感じるように進化してきたという。サバンナは、見晴らしの良さから安全性を確認でき、点在するオアシスや自然が生存に適しているため、人間はその環境を本能的に好むようになった。このような心理的な影響が、高い場所や開けた風景に対する人間の強い魅力を説明している。
現代の都市空間においても、この本能がそのままに、そこここの空間において現れている。高層ビルの上層階に立つと、広大な景色を一望することができ、まるで都市全体を支配している―我々はしばし映画などにおいて、超高層ビルの最上階から街並みを見下ろす権力者が悪の表象として描かれる場面に出会うときのような―感覚に包まれる。そしてその一方で、高層ビルという堅固な建物の中にいることで、外界から隔離された安心感を得ることができる。この二重の心理的効果が、私たちに深い満足感をもたらし、高い場所への憧れを一層強化しているのだ。
権力と監視: 高所の象徴性
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近代的な権力構造とその仕組を丹念に紐解いたミシェル・フーコーの『監獄の誕生』*5は、権力が空間を利用して人々を監視し、コントロールする仕組みを探求した著作である。特に「パノプティコン」という全方位から監視が可能な建物の設計に触れ、高所からの視線がどのように人々に無意識の規律を強いるかを考察している。この概念は、現代の都市における高層建築物の象徴性とも密接に関連している。
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都市の中で高くそびえる建物は、その高さ自体が権力の象徴となり、上からの視線が都市全体を見渡し、支配する力を象徴している。このように、高所は物理的な高さだけでなく、社会的な権力や監視の象徴としての意味を持つ。高層ビルの頂上から見下ろす視点は、他者に対する優位性を感じさせ、その高さが無言のうちに権力を主張しているのである。
こうした視点から見ると、高層建築物は単なる居住や仕事の場としての機能を超えて、都市における権力構造を視覚的に示す役割を果たしていることがわかる。これは、現代の都市における社会的なヒエラルキーを象徴するものであり、高所が持つ象徴的な意味をさらに強調している。
5. 結論
高所への憧れは、単なる物理的な高さへの魅力にとどまらない。そこには、心理的な安心感や美的な魅力、さらには社会的な権力の象徴としての意味が込められている。高所は、これら複数の要素が絡み合う複雑な空間であり、私たちがそこに引き寄せられる理由もまた多岐にわたるのだ。
このような構造において、高所は果てない欲望が注がれるに適した構造だった。しかし同時に、エレベーターという技術の革新に至るまで、最上階の価値は低かった点を鑑みると、空間への欲望は、この先の技術革新や社会的な状況によって、用意に変化すると考えることができる。このように、空間にまつわる欲望は多元的かつ流動的であり、高所はその問いについて我々に饒舌に語ってくれる存在なのだ。
*1 アンドレアス ベルナルト著 井上周平,井上みどり訳『金持ちは、なぜ高いところに住むのか 近代都市はエレベーターがつくった』,柏書房,2016,
*2 大澤昭彦著『高層建築物の世界史』,講談社,2015
*3 ジェイ・アプルトン著 菅野弘久訳『風景の経験―景観の美について』,法政大学出版局,2005,
*4 イサベル・シューヴァル著,久山葉子訳,『デザインフルネス 脳科学でわかる心地よい生活環境のつくり方』,フィルムアート社,2023,
*5 ミシェル・フーコー著,田村俶訳『監獄の誕生〈新装版〉―監視と処罰―』,新潮社,2020,