サウナとair pods pro −情報のマスキングとキャンセリングについて

パートナーに誘われるがまま、サウナに通っている。近所はもちろん、県境を跨いで、聖地とされているサウナに2人で小旅行し、そこを目的地とするぐらいには足繁く通っている。サウナブームというやつが遅ればせながら我が家にもやってきた。

今まではお風呂に水風呂がある理由もよくわからずにいたのだけど、なるほど、サウナで「ととのう」と呼ばれている行為の中に水風呂に浸かる工程が組み込まれていて、必須のものらしい。

サウナに入っている時間はかなり苦しい。シンプルに暑いことが多い。水風呂に入っている時間もかなりきつい。シンプルに冷たい。けれど、それを乗り越えてベンチでダラりとくつろいでいる時間は確かに思考がスーッと一瞬遠くなり、その後デフォルトモードネットワーク1に切り替わるような感じが確かにある。

この思考することが可能かどうかというのはどうやら環境と身体の関係の只中にあるらしい。サウナや水風呂に入っているときは思考が極めて難しい。おそらく、環境の側に情報が多く、身体がその結果負荷を受けている瞬間は、思考が遠ざかるという性質がある。情報が氾濫していることによる思考のマスキング、とでも言えるだろうか。

反対に、ベンチに寝転びだらりとリラックスしている時は思考が勝手に湧いてくる。環境と身体のシーソーのバランスが程よく取れている時には思考が巡る。逍遥学派よろしく2、歩いているときにアイデアを思いついたりするのは、この環境と身体のシーソーのバランスがやはりちょうど良いからなのではないか。この時、思考に集中ができるという点で、情報それ自体は程よくキャンセリングされているように思う。

自分はほとんど終日と言っていいぐらいair pods proをつけていて、かなりの割合でノイズをキャンセリングしながら生活をしている。普通に生活をしていると、都市や街中というのは情報量が多すぎる感覚があり、環境と身体のバランスがやや取りづらいことがあって、ずっとイヤホンを装着している。実際にこの文章を書くときも、イヤホンを装着しノイズキャンセリングをして何も流さずに書いている。この状態になるとある程度思考が進むためだ。

空間の体験についても、その体験性がマスキング的なものなのか、キャンセリング的なものなのかで捉えてみることで整理できそうなこともあるように思う。ライブの空間などは圧倒的なマスキング的である。反対にフレンチのコース料理を味わっているときなどは、キャンセリング的だろうか。前者は没入することで、後者は没頭することと還元できるかもしれない。

1デフォルトモードネットワーク(DMN): 何も課題に集中していない安静時に活動しやすい脳内ネットワーク。自己について考えることや過去の記憶の想起、将来の想像など、内的な思考に深く関わるとされる。
2逍遥学派(Peripatetic School): 古代ギリシャの哲学者アリストテレスが創設した学派。師弟が歩きながら議論したことから「逍遥学派」と呼ばれ、自然、倫理、政治、論理など幅広い分野の研究を行った。