トマス・モア『ユートピア』

ユートピア/トマス・モア, 平井 正穂|岩波文庫 - 岩波書店iwanami.co.jp ↗

私たちは、理想の社会を思い浮かべるとき、それを現在よりも先にある未来の姿として捉えがちである。いま抱えている問題が少しずつ解消され、その先に、より良い社会が実現する。理想は時間軸の先端に置かれる。

しかし、1516年に刊行されたトマス・モアの『ユートピア』において、理想の社会は未来ではなく、同じ時代の「ここではないどこか」に存在している。本書が書かれたのは、ヨーロッパによる海外進出が進み、それまで知られていなかった土地や社会の存在が伝えられるようになった時代である。同時に、当時の西欧社会では、政治や経済をめぐるさまざまな矛盾が表面化していた。『ユートピア』に描かれる架空の島は、そうした現実社会を外側から眺め直すための場所でもある。

理想を未来に置くと、現在はそこへ至る途中の段階として理解される。一方で、理想を別の場所に置くと、現在とは異なる仕組みが、同時に存在しうるものとして現れる。そこで示されるのは、未来の完成予想図というよりも、いま自分たちが当然だと思っている社会のあり方を相対化するための視点である。

『ユートピア』は、理想的な社会の答えをそのまま提示する本ではない。むしろ、私たちはなぜ理想を未来に求めるのか、そして理想と現在のあいだに、どのような距離を設定しているのかを問い返してくる。理想は、本当にこの先の未来にあるのか。それとも、現在とは異なる可能性として、すでにどこかに存在しているのか。本書は、私たちが無意識に抱いている未来像を、少しずつ解きほぐしてくれる一冊。