空間デザインと名指される、建築でもデザインでもない、この領域の本質はなんなんだろうと沸々としている。そのことを考えているうちに、空間デザインそのものの性質を定義するのではなく、デザインが時間のなかでどのように「残っていくのか」から考えてみることもできるのではないかと思った。
きっかけになったのは、以前にも文章の中で出現した、コルネットの系統図である。そこから考えたのは、自然界における形質の残り方と、人工物における形質の残り方には、少し異なる構造があるのではないか、ということだった。
生物の進化では、遺伝的な情報の多くは親から子へと世代をまたいで継承される。もちろん、進化が常にゆっくりと起こるわけではないし、微生物における水平遺伝子伝播のように
1 1 水平遺伝子伝播Luis Boto, “Horizontal gene transfer in evolution: facts and challenges,” Proceedings of the Royal Society B, 2010. 親から子への遺伝とは異なり、系統をまたいで遺伝情報が移動する「水平遺伝子伝播(Horizontal Gene Transfer)」について整理したレビュー。特に微生物の進化において、単純な樹形の系統関係だけでは捉えられない遺伝情報の移動が重要な役割を持つことを論じている 、単純な親子関係だけでは説明できない情報伝達も存在する。それでも、生物の形質が基本的には個体の繁殖と世代交代を通じて受け継がれていくことには変わりない。
ここで興味深いのは、生物の適応可能性を支えているものの一つが、ある時点に存在する個体や集団の「多様性」だということだ。環境が均質でなければ、ある場所では有利な形質が、別の場所では不利になることもある。異なる形質が同時に存在することで、環境が変化したときにも、系全体として何らかの応答を残しておくことができる。
そう考えると、生物はある意味で、空間のなかに可能性を分散させているとも言える。(もちろん休眠遺伝子などの、時間軸的な可能性の分散装置も存在するが)
一方で、人工物の面白さは、必ずしも現在存在している形質だけが次の形質につながるわけではないところにある。コルネットの系統図を見ると、親から子、子から孫へと形が連続的に継承されるだけではなく、別の系統からある特徴が持ち込まれたり、一度姿を消した古い形態が後の時代に再び現れたりする。TemkinとEldredgeがコルネットなどの人工物を分析して示したのも、物質文化の変化には、生物の系統樹をそのまま当てはめるだけでは捉えられない情報伝達が存在するということだった
2 2 人工物の系統とコルネットについてIlya Tëmkin & Niles Eldredge, “Phylogenetics and Material Cultural Evolution,” Current Anthropology, 2007. 生物学で用いられる系統解析を、楽器などの人工物の変化に適用しながら、その限界を検討した論文。弦楽器のプサルタリーと金管楽器のコルネットを分析し、人工物では親から子へと連続するような垂直的な継承だけでなく、別系統から特徴が持ち込まれる「水平的な情報伝達」が頻繁に起こることを示している。人工物の歴史を単純な樹形図だけでは表現しきれない、という議論の出発点。 。
なかでも面白いのが、一度姿を消したコルネットの形態が後になって復活する「ラザロ・エフェクト」だろう
3 3 コルネットの「ラザロ・エフェクト」についてNiles Eldredge, “Paleontology and Cornets: Thoughts on Material Cultural Evolution,” Evolution: Education and Outreach, 2011. 古生物学者ナイルズ・エルドリッジが、自身のコルネット・コレクションをもとに、生物進化と人工物の変化を比較した論考。19世紀末に一度ほとんど姿を消したコルネットの形態が、後の時代に再び現れる現象を「Lazarus effect(ラザロ・エフェクト)」として紹介している。生物では絶滅した種そのものが再び戻ることはないのに対し、人工物では過去の形態や情報が残っていれば、それを時間を越えて再び呼び戻すことができる、という違いが示されている。 。ある時代には適応的だったデザインが、時代が変わることで陳腐化する。デザインは、その時代の技術や価値観、社会状況、素材、経済性など、さまざまな関係の束として成立している。その意味では、その時代における一つの固有解でもある。だから空間デザインには、ファッションや流行に近い側面もある。
しかし、陳腐化することと、可能性が失われることは同じではない。一度使われなくなった形質であっても、実物や図面、写真、記録などが残っていれば、何十年、何百年後に再び取り出すことができる。ある時代には不要になったものが、環境や社会の条件が変わることで、突然もう一度意味を持つこともある。
だとすると、人工物にとって重要なのは、その時代に何が生き残っているかだけではなく、過去に存在した形質へ再びアクセスできることなのかもしれない。生物が、同時代に存在する形質の多様性によって可能性を保持しているとすれば、人工物は、歴史のなかに蓄積された形質によって可能性を保持することができる。
言い換えれば、生物が空間的な多様性を一つの適応資源として持つのに対して、人工物にとっては時間的な多様性が大きな適応資源になり得る。もちろん、これは生物と人工物を完全に二分する話ではない。生物にも時間を越えて多様性を保持する仕組みはあるし、人工物にも地域や文化による空間的な多様性がある。ただ人工物の場合、記録さえ残っていれば、現在の系統とは直接つながっていない過去の形質を、時間を飛び越えて意図的に呼び戻すことができる。この自由度はとても大きい。
そう考えると、「残す」ということの意味も少し変わって見えてくる。AIが何度も冬の時代を経験した先に現在の隆盛があるとするなら、そこでは過去の研究が参照可能なかたちで残されていたことが重要だったはずだ。ある時代には実用化できなかったアイデアでも、論文や書籍として残っていれば、計算能力や周辺技術、社会環境が変わったときに、もう一度取り出すことができる。
論文は論文を読めばよく、書籍は書籍を開けばいい。しかし、いわゆるインテリアデザインとしての空間は残りにくい。写真や図面は残る。しかし、それらは空間そのものではない。光や音、距離感、身体の動き、視線の変化、素材との距離といった、空間を体験するときの多くの情報は失われてしまう。建物自体も改修され、解体され、やがて消えていく。もちろん経済的なロジックに伴った解体も存在する。建築と比べてインテリアとしての空間は儚さが伴う。
それと同時に、少しアクロバティックな接続ではあるが、3D Gaussian Splattingのような技術やXRデバイスの進化を見ていると、これまでとは違う空間の残し方が現れ始めているようにも思う。いずれ、空間の幾何形状だけではなく、そのなかを移動し、見回し、スケールを身体的に感じるような体験まで含めて、ゲームエンジンなどの環境に保存できるようになるかもしれない。
そうなれば、過去の空間に後から遡り、そこに存在した形質を再び発見することができる。ただ、これはこれで別種の問題がある。
紙に印刷された書籍は、現状、百年前のものでもそのまま読むことができる。一方で、デジタルメディアは移ろいが非常に速い。JPEGのように広く普及した画像形式は比較的ロバストになってきたが、3D Gaussian Splattingのような新しい技術が、十年後にも現在と同じように扱える保証はない。新しい形式に置き換えられ、ソフトウェアやハードウェアが失われれば、データそのものは残っていてもアクセスできなくなるかもしれない。だから空間を「保存する」だけでは、おそらく足りない。未来から再びアクセスできる状態で残すことはいかにして可能か。これはデジタルメディアに囲まれた現代の大きな問いであることには変わりない。
空間デザインには陳腐化がつきものだという。けれども同時に、その時代固有の要素に呼応した、固有の空間が生まれることも多い。確かにそれは時代が移ろうと魅力が変わってしまう。けれどももし、陳腐化した空間が、何十年、何百年後に再び発見され、そのなかに別の時代にとっての可能性が見出されたらどうだろうか。それは思いもよらないレファレンスになるのではないか。そのためには、空間の形質が時間を越えて参照可能であり続けなければならない。本質的で普遍なものだけを残すのではなくて、関係性の中で生まれ出た固有な解、世俗的な現象それ自体を保存しておくことが、後の世のクリエイションの多様さにつながるはずなのだと思う。
1 水平遺伝子伝播Luis Boto, “Horizontal gene transfer in evolution: facts and challenges,” Proceedings of the Royal Society B, 2010. 親から子への遺伝とは異なり、系統をまたいで遺伝情報が移動する「水平遺伝子伝播(Horizontal Gene Transfer)」について整理したレビュー。特に微生物の進化において、単純な樹形の系統関係だけでは捉えられない遺伝情報の移動が重要な役割を持つことを論じている 2 人工物の系統とコルネットについてIlya Tëmkin & Niles Eldredge, “Phylogenetics and Material Cultural Evolution,” Current Anthropology, 2007. 生物学で用いられる系統解析を、楽器などの人工物の変化に適用しながら、その限界を検討した論文。弦楽器のプサルタリーと金管楽器のコルネットを分析し、人工物では親から子へと連続するような垂直的な継承だけでなく、別系統から特徴が持ち込まれる「水平的な情報伝達」が頻繁に起こることを示している。人工物の歴史を単純な樹形図だけでは表現しきれない、という議論の出発点。 3 コルネットの「ラザロ・エフェクト」についてNiles Eldredge, “Paleontology and Cornets: Thoughts on Material Cultural Evolution,” Evolution: Education and Outreach, 2011. 古生物学者ナイルズ・エルドリッジが、自身のコルネット・コレクションをもとに、生物進化と人工物の変化を比較した論考。19世紀末に一度ほとんど姿を消したコルネットの形態が、後の時代に再び現れる現象を「Lazarus effect(ラザロ・エフェクト)」として紹介している。生物では絶滅した種そのものが再び戻ることはないのに対し、人工物では過去の形態や情報が残っていれば、それを時間を越えて再び呼び戻すことができる、という違いが示されている。